2004 [8th] Japan Media Arts Festival:Device Art Symposium "How We Create Media Art Works"
Panel Discussion "How We Create Media Art Works"


平成16年度(第8回)文化庁メディア芸術祭

パネル・ディスカッション「メディアアートはこう作る!」
2005年3月3日@東京都写真美術館

草原:ありがとうございました。では、時間も多少は延長できるようですので、皆さん、他の方のプレゼンテーションを聞いているうち「自分はこれも言いたかった!」ということもあると思いますので、全体的にお話を伺えたらと思いますが……いかがでしょうか?


3.1●インターフェイスの洗練が、デバイスアートの使命だ?!

岩田:先ほどの土佐さんのお話の中の『ガチャコン』のところで「インターフェイスが失われつつあるのはいかがなものか?」とサラッとおっしゃったのですが、私はそれが非常に重要なことだと思います。最近はデジタル・メディア時代で、すべてのことがバーチャルに、サイバースペース上の存在になりつつあるのですが、人間が暮らしているのは実空間・実世界ですから、そこで何かを操作するような感じですよね。そういう感覚って、人間が生きていく上でなくてはならないのでは、と思うわけです。なので、そういうところを洗練させていくのがデバイスアートの使命なのかな、という感じもするわけですが。


土佐:僕は感覚的にこういうものたちがすごく可愛いと思って、作っているのですけれど、クワクボ君とこれ(『Bitman』)を作ったとき、面白いなと思ったのは、「8×8で絵が描けるじゃん!」という話をしていたことです。デジカメが今、300万画素? いや500万画素ですよ! これは64画素しかありませんからね(笑)。だから「情報量が上がれば上がるほどいいのか?」という感じですね。俳句感覚で映像もやろうという、クワクボ君のアイディアがすごく面白かった……。

 で、話を戻しますと、テクノロジーというのは素晴らしいことだけれど、それと表現というのは違うなぁ、と、それはすごく思いますね。


草原:クワクボさんはどうですか? すごく面白いインタラクションで、インターフェイスにこだわって作っていますよね。


クワクボ:僕が最後に見せた『R/V』というラジコンのロボットの作品は、実は言ってみれば、物理的に作った「アバター」とも言えます。「アバター」というのは(僕はやったことがないのですが)、自分の化身となって動いてくれるもので、ネットワークを介して移動して、他の人に出会ってチャットしたり……というものですよね。それを先祖帰りさせて、もう1回モノに落とし直したという見方もできるのですが。特にあの作品に関しては、使っているテクノロジーが、たぶんだいたい30年ぐらい前の技術でできてしまう。ビデオカメラと無線とがあればできてしまうので「何が新しいのか」が分からなくなってきちゃったりもします。結局、今、そういうバーチャルな世界とフィジカルな世界を半分ずつ使っているような人にとってみると、新しい体験になるのかな、という気がしました。

 だから先ほども言いましたが、同じものを見ても、時代性や世代によって、意味が変わってきてしまうというのが、ひとつの興味ですね。韓国でこのあいだ自分の発表をしてきた時に質問されたのが「今、こうやって情報化が進展しているのに、なぜ、あなたはわざわざモノにするのですか?」と訊かれて、その時、どう答えたものかなぁと思って、喩え話として出したのが……さっき児玉さんがちょっとおっしゃっていたように、木の実とか、あと恐らくは土佐さんが扱っている「花」とか「魚」とかもそうだと思うのですけれど……僕の場合、フルーツがあって、それが種を維持する目的ということと、人間が食べておいしいということが、同じ現象をやっていることで同時に起きてしまうというのが面白い。人が最初に興味を持ったりするのは情報だけれど、身体的なもの、あるいは物理的なものだったりもしますよね。だからそういうところもやはり重要なんじゃないか、という話をしたのを思い出しました。


土佐:僕もさっきの児玉さんの「木の実とかがデバイスだ」というのは、ハッとしましたね。「何てことを言うんだこのお母さんは!」と、びっくりしました(笑)。  僕がデバイスということから自然に思っていたのは、自然現象……例えば光には必ず鏡があるとか、風にはプロペラが、地面にはタイヤがあるとか、森羅万象には必ずそれに対になるガジェットというかデバイスがあるなぁ、とは思っていたのですが、「花がデバイス」というのはそうではなくて……ねえ。なんか「向こうからこっち」の話だったので「はぁ〜!」と思いましたね。


児玉:私もインターフェイスのことは色々と考えていて、というのも私が作っている流体のものというのが、あまり制御がしやすいものではないので、「インターフェイスが良くないね」とよく言われるのです。ある人には「もっとシンプルなインターフェイスじゃなければダメだよ」と言われて、ただし、その扱いが難しいところが、逆に面白味なんじゃないかと思えるふしもあるのです。

 例えば楽器のことを考えると……、楽器だってインタラクティブなツールだと思うのですが、最初からバイオリンですごい曲なんか弾けないじゃないですか。でも、常に楽器と共に段々と手がなじんで慣れてくるに従って、いい音が出たり、自由自在に演奏できる。その時、それはインターフェイスが難しいのか、優れたものなのか、どうなんだろう? でもアートとして考えると、そちらの方が面白いのではないでしょうか。

 で話は流体に戻るのですが、扱いにくいけれど、音や光の簡単な入力によって、思ってもみないダイナミックな形が出てくるところが嬉しいのではないか、ということを最近思っています。


草原:すぐにできてしまうものよりも、流体を飼い馴らす……というか、それで色々な形ができた方が面白い、と?


児玉:なんか「なじむ」という感じですね。お茶の道具も、段々と使っていくうちになじんでくるといいます。生活の中で道具を使うと、その「なじみ」が自分にとっては心地いいところがあるのではないかと思っています。ちょっとレトロっぽい形のオモチャにしても、何か「なじんでくる」ところがある。実は私もこれを家にひとつ置いて、遊んでいるうちに、思い入れが出てきたり、そういうところが身近な道具としての魅力、だけどそれは普通の実用的なものではないのですが……そういうところが面白いんじゃないかと。


土佐:うちのお婆ちゃんが、何かあるたびに「ありがたい、ありがたい」と言っていたんですね。あと「もったいない」も言っていましたし。

 で、何でお婆ちゃんはすぐ「ありがたい」って言うんだろうと思って、ふと近頃の若者を見ると、すぐ「カワイイ!」って言いますよね。あれ、実はいっしょで、モノとか現象に対してすごく近いというか、すぐ入り込んでしまう感覚って、実は昔から日本人にはあるのではないでしょうか? 「八百万の神」じゃないけれど、トイレにすら神様がいる国なので、モノにはすべてそういうものが宿っていて、それにすぐ反応して「ありがたい」とか「カワイイ!」と言っちゃうのかな? と思ったことがありました。

 『魚コード』を作った時も「これは唐傘お化けだなぁ」と。電気コードがお化けになったらどうなるかな、みたいな印象もありましたし。これ、燃えるゴミの日に捨てようと思ったら非常に勇気が要りますよね(笑)。普通の電気コードだったら、すぐ捨てられるんですけど、そういうことがあったりして、デバイスとか道具とかいうものに想いを込めるということがあるような気がします。なにしろ「三種の神器」とか言って、神様が道具だったりする国なので。


岩田:道具とかモノへのこだわりって、すごく日本的だと思うんですよね。特に日本人って、テクノロジーの産物に関して割と寛容というか、例えばロボットなんかが出てきた時でも、ヨーロッパだと「仕事を奪う敵だ!」という感じがあるけれど、日本の場合、割とペット的な可愛がり方をしたり、モノへの思い入れというのは非常にありますよね。インターフェイスの話もそうで、「インターフェイスにテクノロジーを使って何が悪いんだ」というのが、私の持論なんですよ。どんどんテクノロジーを使っちゃおうじゃないか、というのが、ある種の日本らしさだと思うんですよね。

 最近、ユビキタス・コンピューティングというのが流行りで、それって何かというと、早い話、コンピュータ本体は見せずに、壁の裏とか床の下とか天井に埋め込んじゃって、見えないようにしよう、ということです。それがエレガントだという風潮があるけれど、僕に言わせると、日本人の国民性に合わないことはやめたほうがいいと。むしろ、じゃんじゃんインターフェイスを作って面白いことをやりましょうよ、と思います。


草原:そのあたりは、土佐さんやクワクボさんも言っていましたよね。「技術が見える方がいいのだ」と……。


クワクボ:そうですね。よく僕が話をするのは、「吉野家の自動ドアってどうやって開くか知っていますか?」という話ですが、吉野家に行ったことのない人のために説明しますと、ガラスの自動ドアに赤いプラスチックのプレートが貼ってあって「ここに触れてください」と書いてあるのですが、実際そこには何もなくて、そのプラスチックに指を触れる、その高さに光センサーが横から来ていて、それが感知するわけです。だから通は、わざとそこに触らずにドアを開けることができるそうです(笑)。ちなみに「松屋」とか、他の店ではうまくいきませんでした。距離が問題になってくるらしい。

 ……というように、その時、センサーって人を欺いているなぁと思ったのです。結局、そこに触ることが問題なのではなくて、光を遮ることが問題だったり、あるいはしかるべき距離で光を反射することが問題だったりするわけです。そこで「あ、オレとこの機械は違う世界にいるな」という感じがしたわけです。そうじゃなくて、もっと……僕はそのセンサーよりも、例えばATMのコーナーで監視しているカメラがありますよね。あれの方が好きですよ。あれは「私は見ています」ということを言ってくれていますよね。その合意というか、微妙に違うことを、ここで分かってほしい(笑)。


草原:ヘルシンキに行くと大統領官邸のそばに、電線に止まったカラスの格好の監視カメラがあって、あれはすごいと思っているのですけれど……とまれ、テクノロジーが本当とは違うような素振りで我々を騙すよりは、何がそこで起こっているのかがストレートに分かったほうがいい、ということですよね。


クワクボ:そうそう、そういうことが言いたかったのです(笑)。


草原:そうなるともうひとつには、デザインの問題があるじゃないですか。クワクボさんが去年大賞を取った、あのクルクルと回るゲームの作品(『Loop Scape』)といっしょに、テーブルに置いてコンコンコンとやると、それを真似する『Duper/Looper』……あれも、妙に飾り立てたようなデザインじゃなくて、すごくシンプルで、本当にデバイスという感じのデザインだったのですが、あの作品のコンセプトは、どういうところにあったのですか?


クワクボ:ひとつは明和電機へのオマージュというところがありました(笑)。それから、まさにあれは機械が感じているものと人が感じるものがいっしょだというところがミソで、テーブルをノックすると、ハンマーがカチカチ動いて、同じパターンでテーブルを叩いてくれるというものでしたけれど、結局それはテーブルの世界で、自分の手のノックと機械のノックが同等に扱われているということですね。あのマシンは音を止めたい時は、無理矢理ハンマーを手で押さえることで止められる、というものです。


草原:モノを人間とは全く違うものとみなすのではなく、何か共通性を感じてもかまわない、という感じでしょうか?


クワクボ:コンピュータの世界では「WYSIWYG(ウィジウィグ)」って言葉が昔ありましたよね。「What You See Is What You Get(あなたが見るものはあなたが得るもの)」でしたっけ? つまりコンピュータで見ているものを最終的にプリントアウトしたら、そのままのものを得られますよ、という発想が逆に、今になって、実際のフィジカルな部分での面白さが活きてくるのかな、というふうに思いました。



3.2●素材フェチとしてのデバイスアート?!

草原:関連して、素材をどういうふうに活かすかという話もあると思います。児玉さんの磁性流体は、どうやってあのような素材を見いだし、それを作品にしたのでしょうか?


児玉:先ほど草原先生が《SIGGRAPH》のことをおっしゃったのですが、私もCGの映像作品を見まくっていた時代がありまして、最近はできなくなってしまいましたけれど、いわゆるホログラムを作っていた時期もありました。この磁性流体のプロジェクトを私といっしょに始めた竹野美奈子さんと私はいっしょに住んでいた時期があったのですが、彼女が磁性流体の実験もしていたのですね。その時、何てリアリティがあるんだろうと、実在の物質の形が色々と変わるのに私はショックを受けて。CGなどをゲームやテレビの画面で見慣れている目にとって、実際の素材の存在感がすごく強く響いたわけですね。私は、この新しい「動く液体」に、その表面が非常に肌理の細かい黒い素材に、とても強い魅力を感じたんです。

 芸術作品の魅力のひとつとして、テクスチャー、素材感というものが、非常に重要な要素のひとつにあると思います。昔の墨とか、油絵のタブローの表面も……テクスチャーやマチエールが重要なように、どのような彫刻にしても、たとえこのような新しい素材を使ったものにしても、その素材感は、作品の魅力の中で大きな部分を占めると私は思います。着物の織物の肌理もそうです。すごく色々な織物がありますよね。漆にしても、その素材に対して我々はこだわりがあるような気がします……。


草原:素材を見たときに「これで何かを作りたい!」とう感じがあったのですか?


児玉:実際にそれを動かしてみたいと、液体の表面とテクスチャーを色々な形に変化させたいと思いました。


草原:他のものに使われていた素材を、別の用途に使うということは、見立てということに関係してくると思うのですが、この岩田先生の『ロボットタイル』も、なぜモノを運ぶだけのものを無限歩行に使おうとしたのか、その発想はいったいどこから出てきたのでしょうか?


岩田:先ほどもお話ししましたように、最初は「2次元のトコロテンをどうやってできるか」ということで、トコロテンは押したらば反対側から出るだけですから、言わば「一次誘導」ですよね。それを平面でやるためにはどうすればいいかということで、折り紙を色々と切ったりしてパズルをやっていたわけです。そうしているうち、これをそのままモータをつけて動かせればいいのではないか、ということを考え、そこからいきなりこれがポンと出てきたわけです。紙の塊が動くためには、こういう仕掛けがあると一番ストレートかな、と。これが最善ではないのですが、少なくともそれを一番ストレートに実現しようとすると、こうなる。というわけで、その発想の元は紙細工でした。


草原:でも普通、いきなり紙からそこには行かないと思うのですけれど……。


岩田:いや、私は行きますね(笑)。


草原:そうですか。他にはどうですか?


土佐:さっきの素材の話の続きですが、僕がこういった作品を作る時にも、すごく素材にこだわるんですね。必ずアルミニウムやABSプラスチックを使って作っていて……。で、児玉さんがさっき言ったみたいに、たぶん素材に関するフェティッシュというか、「エロ」なんだと思います。その素材に惹かれるっていうのは。言わば児玉さんは、磁性流体フェチなんですよ、たぶん(笑)。

 で、そういうすごく現実的な身体性の部分がありつつも、一方では、こういうものを作るときに、「セオリーだけが残っていけばいいや」っていう気分もあるわけです。明和電機の製品を作る時、必ず図面に起こせる形に全部作るのですが、それはこういう彫刻的なものにしろ、その図面だけ残っていれば、僕がいなくても、後で誰かが作れるというふうに思えて、モノにはこだわる反面、なんかそういう、いわゆるバーチャルな……「あちら側」のものを求めていることもあります。

 そういう意味で僕が一番すごいなぁって思ったのは「折り鶴」です。あれはたぶん平安時代ぐらいからあるのですかね?……あるとしましょう(笑)。たぶんこうやって、公家が紙を折っていたんですよ。最初に折り紙で鶴を折った人がいて、その人がポクッと死んじゃったら、その鶴の折り紙は残っていなかったのかもしれないのだけれど、折り上がった時、周囲の誰かに見せて「鶴でおじゃる」って言ったら「おお! 鶴でおじゃる」と言って、その人も同じように折った。その「おじゃる」「おじゃる」が続いて、今でも世界中で折り続けられているわけですよね。

 伊勢神宮もそうですけれど、仮想、「あちら側」という世界が現実に降りてきて……というのを繰り返していく、この考え方も、わりと日本人的なのかな? って思いました。


草原:仮想と現実の関係とか、自分の頭の中にあるものを、どういうふうに実際の形にするか。あるいはそれをどう伝えるか? ということですよね……。どうしましょう、あと10分くらいは時間を延ばせるのですが、このメンバーで話したら、たぶんあと2時間は話せますよね……。この続きは、またどこかでやりたいと思いますが、今日は超満員の方々がいらっしゃるので、このあたりで質問があったら、お聞きしたいのですが。あ、クワクボさん、まだありますか?


クワクボ:土佐さんの話を聞いていて面白いと思ったのですが、ガウディとかもそうですよね。図面を書いて、いまだに作っている。先にもうできちゃっている、とか……。で、意外と僕自身はそうじゃないことに最近気づいてですね、選ぶ素材は比較的決まっているのですが、それは楽で安くて、すぐ削れたりするもの。なぜならば、僕のスタジオにはあまり設備がないからです。

 それから電子デバイスというのは、意外と生ものに近くて、今あるものでも10年後には手に入らないとか、すでに色々なICやLSIは手に入らなくなって、デッドストックしかない状況になっています。アキバに昔、青物市場があったじゃないですか。なんか僕、けっこう八百屋感覚でアキバに行って、さっきのゲームのディスプレイも、たまたま行ったらあったので、ジャンク・パーツでしたけれど買ったりとか、意外と生もののように使っているんですね。ですから僕も、気が向いたら図面とか起こしたりもするのですが、明らかに再現できないものもあるよな、というのは思いましたね。

 友達でネットアートをやっている人たちも同様のことを嘆いていて、ソフトウェアというのは、それこそコンセプトだけ残っていくと思っていたら、プラットフォームがどんどんなくなっていくので、すぐできなくなる。5年ぐらいで再現できなくなると言っていたので、その違いが意外と面白いなあ、と思いました。


草原:私も面白そうなガジェットがあると買い込む方なので、うちはガラクタでいっぱいになっていますけれど……では、残り時間もあまりありませんが、せっかくなので、もし会場から質問があれば、お願いします。


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3.3●質疑応答/総括

質問1:フランスから来ました、エンターテインメントを研究している者です。外国にいると、日本がいかにマス・プロダクツの国かがよく分かります。先ほど「折り鶴」の話が出てきましたが、正方形の紙をあんなにたくさん消費できるという条件は、普通なかなか生まれません。テクノロジーとエンターテインメントの例で考えると、例えばパチンコのように、ものすごい早さで回転し消費される遊びがあったりもします。

 で、皆さんがおっしゃっていた「デバイスアート」って、新しいようで古いようで、いい言葉だと思うのですが、その耐用期間というか寿命というものを、もっと真面目に考えていただきたいというのが、僕の意見であり質問でもあります。例えばカメラだって、100年前にはメディアアートだったかもしれないですよね。それが100年くらい持ってしまうような息の長い工芸品・芸術作品になるのか、「ああ、そんなものもあったね」という程度なのか。そういう意味では、やはり世界の先駆である日本のメディアアートの人達は、デバイスアートのライフタイムについてもしっかり考えていただきたいと思いました。


草原:それは「生ものかどうか」ということにも関連するのかもしれませんが……。


土佐:たしかにクワクボ君の話を聞いて、今のお話を伺って、芸術はやっぱり100年間は残したいと思って作るんだけれども、テクノロジー・アートの悲しいところは、技術というのはどんどん廃れていくものですよね。

 『Bitman』にしても、壊れた時、この中の部品が売っていなかったら、もう直しようがない。僕はこういう彫刻のようなもの(『セーモンズ』)も作るので、どちらかというとそれよりはもう少し素材に負荷を負わせているところがあるのですね。こういう機械にしても、もし動かなくなっても、モータのコイルをもう1回巻き直せばなんとかなるのではないか、と。そのくらいローテクから出発しているのだけど、クワクボ君のように野菜感覚で作っていると、そうもいかないので……ううーん。でも何だろう?

 この間フランスに行った時、70年代のテクノロジー・アートで音を使って部品を組み合わせるものがあったのですね。それを見たとき、まだ動いているのを見て、なんかすごく嬉しかったり、「ああ、芸術なんだ」と思ったんですね。だから、スパンというのも、100年は持たないかもしれないけれど、その時の気持ちとか痕跡が残っていけばいいのかな、という気はしますけれど。


岩田:デバイスアートの特徴のひとつに、メカ=機械が、実世界と人間の間に介在するということがあって、この機械というのは面白いもので、比較的復元しやすいんですね。千年後の人がこの『セーモンズ』の写真を見ていたら、必ずや復元できると思います。

 全くのデジタルの世界というのは、場合によっては、そのチップがなくなった場合に再現できないかもしれないですけれど、幸いに実体のあるものというのは1000年後でも2000年後でも再現できるんですよ。というわけで、私は寿命としては無限にあると思います。

 ところが、むしろ概念……というか、その作品を括るひとつの考え方がしっかりしていないと、残れないだろうとも思います。このグループでも前に議論したのですけれど、このデバイスアートという言葉が……例えばキュビズムとか印象派という言葉は、美術史の中では残っていますよね。そういうような一種のムーブメントとして、後世に残せるかどうかは、これから色々と頑張らないといけないな、という感じはします。


草原:今日の「道具の話」や「素材の話」にしても、その文化の中にあるものが……もちろんそれも変わっていくのだけれど、やっぱり我々の中にあるものは、技術が変わればその技術を利用して、違った形で繰り返し出てくるというのがありますよね。そういう意味で言うと、今から何十年か経つと、デバイスアートと今言っている括りとは、インタラクションのあり方とかインターフェイスとかが色々変わってくると、違ってくるかもしれないけれど、たぶんその時……何十年か後に、やっぱり「ここには何か日本的なものがある」とか言っているかもしれないですよね。そういう意味では続いていくかもしれないですね。では、別の質問を……。


質問2:私はエンジニアなのですが、いわゆる工業製品とアートがどう違うのか、いつも悩んでいて、素材としてもABSのようなプラスチックは、20世紀になってできた材料ですよね。そういうものが、石油が無くなった後もあるとは思えないし……要するに寿命という意味で、例えば音楽で言うと、真空管アンプは球が無くなればもう使えなくなってしまう。工業製品にはそういう儚さがあるというか、デバイスは明らかに工業製品であるし……では、工業製品はどういうニーズによって作られたのか、それからアートは(ニーズというよりは)作者の欲求から作られたのでしょうが、そこにどういう違いがあるのか、皆さんはどう考えられていますか?


クワクボ:美術作品って「オリジナルが持つオーラ」とか、よく言いますよね。それで「複製された作品にはそのオーラがない」という話もありますが、僕は逆に、生まれた時から複製品の周りで育っているせいか、複製されたものの方にむしろオーラを感じるんですね。

 なぜかというと、さっきのLSIの話で言えば、そのチップひとつ作るのにものすごい数の人が関わって、ラインを作ってガーッと作って、必要なくなったら生産をストップしますよね。それって、すごくかけがえのないような気がする。どう「かけがえがない」かと言いますと、画家がキャンバスを前にして一品ものの絵を描くことと同じくらいのオーラを、僕はそこに感じるわけです。そんな僕なので……機械とアートというものも、なかなか区別ができないのが、僕の場合の実情です。はい。


土佐:その「デバイスアート」ということだけで言えば、さっき花を切る鋏が出たとき、本当に美しいなと思って、別に機械じゃなくてもできるわけです。弓だってすごく美しい芸術作品で、すごく簡単な機械的装置で力を蓄えて放出するという意味では、たしかに機械的なんだけれど、そういうものをテクノロジー・アートと言わず、またこの場でそれをデバイスアートに含まないのは、今のこの場の共通項が、やっぱりマシン・アートだからだと思うんですね。

 そのマシン・アートというのは、工業製品も機械なので、寿命のこととかがあると思うのですが、やっぱり「マシンに対する愛」みたいなもの、機械に対する思い入れがあって、それは人間と違うものが動いているとか、人間じゃないものが仕事をしたり何か自然の形になっているとか、そういうものはすごく快感で、もしかしたらそこにおいては、西洋も東洋も関係なくて、むしろオートマタ(自動人形)なんていうのは、日本のみならず西洋にもありましたし……。だけど、その先の細やかさの話で、日本人の特徴が出てくるかなぁ、という気が、僕はしますね。


草原:残り時間もあまりありませんが、岩田先生の方から最後につけ加えることがあれば……。


岩田:従来、美術品というと、複製は罪悪であって、否定的に捉えられていたわけですけれど、デバイスアートという特徴を見ていくと、やっぱり複製にこそ本質がある、というわけで、例えば作家の情念なり愛情がこもった製品だったら、必ずそれは何らかの形で伝わると思うんですね。逆にそれをどうやって伝えるか、という伝え方が重要だと思います。

 以前、クワクボさんが「音楽で成功した友達はバカバカ儲かって大金持ちになるのに、メディアアートでいくらヒットしてもちっとも儲からない」と愚痴を言っていたのですけれど、そのあたり、世の中に複製を浸透させていく、うまい枠組がまだできていないのではないかと思うのです。そのあたりをもっと産業的に……例えば音楽CDが売れるかのごとく、ある種の作品が世の中に出回るような枠組をうまく作れたらいいなぁ、と感じます。


土佐:ただ、そこで問題になるのが、「環境破壊」なんですよね(笑)。これをやっていて、オモチャ会社の人には申し訳ないのですが、作れば作るほど、売れれば売れるほど「申し訳ナイ!」。

 最近はバーチャル・リアリティで、インターネットの中に色々な楽しみがあって、その中に没入している人が非常に増えていますが、それって不健康に思われるけれど、その方が環境は破壊しないな、とも思っています。映画の世界を現実に作ろうと思ったら、すごく自然を壊すし……そこらへんはどうなんでしょうね?


クワクボ:一度実際に調べてみたいですね。コンピュータって、やっぱり器が要るし、電気も食うし、オフィスでは一晩中、夜中も回し続けているじゃないですか。それと実際問題、どのくらい石油が減っているのか、とか。たしかに感覚では、モノを作っていくほうがリソースをどんどん食っているような気がしますけれど、意外とそうじゃないかもしれないですし……ちょっと調べます(笑)。


草原:宿題ができてしまいましたね。今年のメディア芸術祭のアート部門で土佐さんとお会いした時にも話をしたのですが、実際、見ても分かるとおり、モノ=物質にこだわった作品がすごく増えてきていたわけです。ここでも、デバイスアートというのは、画面の中だけに収まるものではなくて、何らかの形で手で触れられるように、物質を使っているという特徴があるのですが、そうすると環境問題も考えなくてはいけないところまで来てしまうわけです。

 たぶん他にも質問があると思いますし、我々もまだまだ言い残したことがたくさんあると思いますが、予定時間も過ぎてしまいましたので、今日はここまでにしたいと思います。4人のアーティストに盛大な拍手をお願いします(拍手)。今日はどうもありがとうございました。

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