CREST Project
Device Art Symposium "Which Came First, the Chicken or the Egg? -- The Relation Between Concept and Technology"
Presentation
by Masahiko Inami


CRESTプロジェクト
デバイスアートシンポジウム 「タマゴが先か、ニワトリが先か?──コンセプトとテクノロジーの関係を考える」

プレゼンテーション:稲見昌彦
2006年6月21日@秋葉原UDX6F:カンファレンス・ルーム


1.2■稲見昌彦:プレゼンテーション

稲見:ご紹介ありがとうございます。電気通信大学の稲見と申します(注:これは2006年時点の所属で、2009年の現職は、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科)。今回を入れて4回やった「デバイスアート・シンポジウム」に初めて参加させていただきますので、まず簡単な自己紹介をさせていただきながら、今回のお題である「タマゴが先か、ニワトリが先か?」というコンセプトとテクノロジーとの関係を考えてみたいと思います。


 まず最初に、私の立ち位置……スタンディング・ポジションですが、所属をご覧いただきますと分かりますように、知能機械工学科というところに勤めていますので、そういう意味ではメカニカル・エンジニア……つまりエンジニアの視点から、今回もお話しさせていただければというふうに思っています。

 で、この「タマゴが先か、ニワトリが先か?」という話なのですが、もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、実は「タマゴの方が先」らしい、ということが最近判明しました(笑)。ちょうど5月26日CNNのニュースに出ていたのですが、イギリスの生物学者が「ニワトリよりタマゴの方が先だ」と結論づけたそうです。どうやら生物の分野では、「タマゴが先らしい」ということになりつつあるらしいのですが、これはあくまでも生物の話であって、今回は「コンセプトとテクノロジーがどういう関係にあるのか?」ということをお話できればと思います。


 まず、私のバックグラウンド、自己紹介を兼ねて、どういうことをやってきたかをお話ししますと、基本的には工学……エンジニアリングの立場から、人の感覚、もしくは表現というものを拡張するためのデバイスを色々と研究してきました。

 その中で、いま左側に映っていますのが「再帰性投映技術」というものです 【動画1】。 私は機械工学というところにいるのですが、デバイスをハックするのが好きでして、そういう意味では「再帰性反射材(retroreflective material)」というものとプロジェクタをうまく組み合わせることで、このようなことができることに気づきました。実はこれ、意外とローテクでして、この基本となる原理は映画『2001年宇宙の旅』とか、あとは『ゴジラ』の特撮でも使われたことがあるらしい。


 で、今度は右側のムービー 【動画2】 が動き始めましたけれど、これはその研究の応用と言いますか、これもそもそも私自身がコンセプト、もしくは技術の本質にまったく気がつかないで出てきてしまったもので「光学迷彩」と言われているものです。【図1】「光学迷彩」((c)慶應義塾大学 舘研究室・稲見研究室)クリックして拡大【図2】「光学迷彩」((c)慶應義塾大学 舘研究室・稲見研究室)クリックして拡大 どういうきっかけでこれができたかといいますと、左側のものを……先ほど岩田先生もおっしゃっていました《SIGGRAPH》というところで展示するときに、頭部搭載型プロジェクタを装着しないといけなかったのです。それで、何か頭に装着するような装置を作ると、たくさん行列ができてしまうわけです。そういう行列で並んでいる人に、どうやって暇つぶしをしてもらうかを考えて、とりあえず「後ろ(の風景)が(投影されて)見えれば、暇をつぶしてくれるだろう」というふうに思って、右側のようなものを作ったのですが、結果的に左側よりも右側のほうが受けてしまった、というようなところが、私もまったく気がつかないうちに……。


草原:「透明人間」とか、言われてましたよね。


稲見:はい、そうです。あと、他にも、もう少しデバイス寄りといいますか、ロボティクスに関する研究もやっていまして、この左側の『RobotPHONE』【動画3】という作品は、製品化もされたものです。どういうものかといいますと、一対のクマのぬいぐるみがまったく同じ動きをするように、内側に入ったロボットで制御してあげている、というものです。

 先ほどローテクの話がありましたけれど、これも機械系のロボットをやっている先生に真面目な話をすると怒られてしまうような仕組みでして、バイラテナル制御といいまして……もう60年代ぐらいに制御の研究、もしくは光工学の研究分野では扱われていたものなのですが、それをうまくコミュニケーションに使えたら、ということで、別の切り口で出してみたものです。


 あと、最近やっているものが右側のビデオ( 『オーギュメンテッド・コロシアム(Augmented Coliseum)』【動画4】)です。これはどういうものかといいますと、小さなロボットを操作しているわけですが、その上にプロジェクタから映像を投映して、そのロボット自体の機能を修飾してあげよう、ということをやっているわけです。

 先ほどのハックさんのお話をお伺いしてビックリしたのですが、実はこれ、技術としましては、ロボットにプロジェクタで映像をうまく重ね合わせることで、何か動いているふうに見えるわけですが、もうひとつ技術的なポイントがありまして、どういうことかというと、ロボットの上面に小さな光センサーが付いています。先ほどのお話の中に「テレビに光センサーを付けて、それでインタラクションをしよう」という話がありましたが、実はロボット上面に装着した光センサーでプロジェクタの光を受けてロボットの位置と姿勢を計測してあげることで、ロボットをコントロールしたり……そういうことをやっています。それによってこういう感じで、ロボットの位置とコンピュータ・グラフィックスの位置をピタリと重ね合わせるというようなこと……これらが、私が最近やっていることです。また、このような立場から、感覚と表現を拡張するデバイスを研究しています。



1.2.1●「表現」の本質的な困難性

特に最近思っていることは、先ほど、岩田先生が「下手をするとモノを作るのに、一生かかってしまうかもしれない」とおっしゃっていたことにも関連してくるのですが……どういうことかといいますと、先ほど「感覚と表現を拡張する(デバイスを研究する)のが私のモチベーション」と申しあげましたが、実は「表現」というのは本質的に困難を抱えているのではないか、表現すること自体が、非常に困難なのではいかと考えています。

 つまり、何か情報を自分に取り込むのに較べて、何か情報を自分から出してあげるというのは、実は物理的にも情報的にも困難である。

 どういうことかといいますと、例えば絵を観たり、テレビを観たりするのは、一瞬でできます。だけれども、その絵を自分で書いてみよう、もしくは、テレビの番組を自分で作ってみようとすると、何十倍?何百倍もの時間がかかってしまう。つまり、あるものを自分の中に取り込むというのと、自分の外側に出すというのでは(人の入力・出力とも言いますが)出力は実は無茶苦茶難しい。それを何とか、工学的な技術で支援できないか、ということです。

 実は、モノ作りのすべてにかかわってくるのですけれど、例えば人の感覚というものを考えると、人は五感というセンサーを持っている。つまり5つの感覚で世界を認識している、と言いますけれども、改めて考えてみると、感覚は5つ、入力は5種類あるのに、実は出力はほとんどない。例えば話すこと、あとはせいぜい身体を動かす、もしくはモノを動かすこと……出力的には3つぐらいしかない。そこを何とかサポートできないか、ということを考えています。


1.2.2●出力を支援するための表現系科学技術「デバイスアート」

そういった人の表現、人からの出力を支援するため、岩田先生はデバイスアートを「表現系科学技術」と名づけたのですけれど、私もそういうことを考えております。先ほど岩田先生の話の例に出ました「基盤技術」というのが、この左側のピンク色の部分(「表現を支援するデバイス開発」)、そこを今回、岩田先生がメインでお話しいただきました。

 それはどういうことかというと、表現を支援するためのデバイスを開発し、それを使うことによって、ハンダづけしなくてもある程度のことができる……そういう話でもありました。

 あと、もうひとつ、これは今までのシンポジウムでの議論にあったかもしれないですが、「デバイス自体をコンテンツとした表現」というのも、同時に考えていく。そういうデバイス自体を作っていく。

 その「支援するためのデバイス開発」と「デバイス自体を使って表現する」……その二つをクルクルと回してあげることによって、きっとこのデバイスアートというような技術表記、もしくは研究領域ができてくるのではないか、というふうに私は考えています。


1.2.3●コンセプトはテクノロジーにおいても重要

ここで工学系の話……コンセプトとテクノロジーの話に行くのですが、実は「コンセプトか、テクノロジーか?」という議題だったのですが、コンセプトってよくよく考えてみると、テクノロジーにおいても極めて重要なものです。どういうことかといいますと、岩田先生や私のような工学者にとっては、たとえば実験と論文というのは、研究者にとっての研究手段であり道具なわけです。

 また、これは、研究者の間でもよく言われていることですが、研究方針・コンセプト……それが決まった時点で、その研究の80%はもう終わっている、と。

 これは若い学生が言うと、説教しなくてはいけないのですが、非常に研究豊富で、たぶんこのくらいのことだったらこのくらいできるかもしれない……そういうことが分かっている状態において、研究者に限って言うならば、研究のコンセプトが決まったなら、ほとんどできたようなものだ、と言われています。

 では、その残りの20%にあたる、実験というのは何のためにやっているかというと、研究のコンセプトというものを主張したり、人に伝えるために実験を行なって、「こういうふうにやればうまくいくんですよ」といくら口で言っても「だったら証拠を見せてみろ!」と言われてしまうわけです。その時の証拠・存在証明として、ある程度の実験というものが位置づけられる。つまり、人に説明するための証拠として実験がある、というふうに考えられる。

 今回のデバイスアートの特徴として、本人が全然コンセプトに気がついていない、というところが特徴かもしれない。それは工学類一般においても、実は自分の研究のポイントが何か……ということについて、本人が気づいていないということが非常に多い。

 実はそれができる(自分の研究のポイントを自覚している)というのは、博士を取ったような研究者でないと難しいくらいです。それを明らかにするのが、博士課程の論文なのかもしれない、と言われています。 。


前へ 1  2  3 次へ

1.2.4●「誰」のためのコンセプトか?

そういう意味ではこのコンセプト、いったい誰のためにあるのか? ということを考えると、私のバックグラウンドで考えるのは、自分の表現したいこと、やりたいことを人に伝えるために、コンセプトというかたちを使うわけです。

 というのも、研究というものも、その出発点は極めてパーソナルなわけです。どういうことかというと、結局、何を研究したらいいのか、「どうやって、やることを決めているのですか?」というと、多くの研究者の場合、色々な理由はつけますけれど「面白いと思った」ということがその出発点にはあると思います。

 そういった「自分が面白いと思うこと」を、どうやって他の人に「意味がありますよ」と伝えるかというときに、テクノロジーというものを道具として使って、人に説明するために、実験を行なう。

 では、そのコンセプトというのは何のために大切なのかというと、実は自分のコンセプトがなくても、研究はできるかもしれない。だけれど本人が自分のコンセプトを理解することによって、結果的に「自分はこういうことをやりたいんだ」と、後で気がつく。そういうことによって、今後の研究の方向性が見えてくる、という意味においてメリットがあるのではないか、と。

 そういった工学系の話をしたあとで、では、実はコンセプトとテクノロジーというのは反しているものではなくて、「コンセプトとしてのテクノロジー」「アートとしてのテクノロジー」というのが、それぞれあるのではないか、というのが私の疑問点です。で、ここの部分は私は答えを持っていません。

 あともうひとつ、では今度は「誰によって、そのコンセプトは作られるのか?」ということを考えると、その表現のコンセプトというのは(これは私の考えなのですが)表現者本人が考えなくてはいけないかというと、決してそうではないのかもしれない。それを解釈する人、観た人、誰かによって、それが提出されればよいのかもしれない。そういう意味では、私の考えるコンセプトは必要かもしれない。ただし、本人が考えるか、誰かそれを観た人が考えるか……それは、特に関係ないのかもしれない、と。


1.2.5●デバイスアートの価値判断

最後に、今回のデバイスアートという話に戻らせていただきますと、デバイスアートの作品……岩田先生の作品もそうなのですが、《SIGGRAPH》とか《Ars〜》など、実は海外において、まず評価されて、その後、国内で広まるという流れが多かったのですが、これは非常に残念なことではないかと、我々は思っています。

 そういう意味では、デバイスアートというコンセプト/考え方、それ独自に「価値を判断する枠組み」というものを作っていく必要があるのではないか。

 そのために「デバイスアートを作るため」そして「デバイスアートを観るため」に必要なものが「目利きの視点」と「見立ての視点」ではないかと思います。

 「目利き」とは何かというと、何か面白いような材料、面白いテクノロジー、面白い技術をいかに見つけてくるか。

 「見立て」とは何かというと、先ほど岩田先生の『ロボットタイル』とかが、非常にそうではないかと私は思ったのですけれど、あの『ロボットタイル』ももともと何だったかというと、全方向移動車といって……ホロノミック・メカニズムと言われているのですが、もともとロボットを自由な方向に動かして、何かモノを搬送しようと、そういうために作られたわけです。

 それは、あるロボット学者の人たちが作ったわけですが、要するに岩田先生が「歩くものをキャンセルするようにそれを使ったら、面白いのではないか」と、そういうふうに全然違う使い方/用途を提案することによって、全く新しい枠組みができた。そういう「見立ての視点」というのが、非常にデバイスアート的には重要なことなのかもしれない、というふうに思っております……というところで、児玉先生に譲ります。