CREST Project Device Art Symposium "Reflections on Commercializing Media Art"
Panel Discussion "Reflections on Commercializing Media Art"


CRESTプロジェクト デバイスアート・シンポジウム「メディアアートを商品化するということ」

パネル・ディスカッション「メディアアートを商品化するということ」
2007年9月30日@日本科学未来館7F:みらいCANホール

草原:ドミニクさん、どうもありがとうございました。コンテンツの世界ですと、VJとかDJがどっと出てきたあたりから、相互利用やコラボレーション、流用や引用といったものが、実際のプラクティスでもたいへん盛んになってきました。またソフトウェアの方でも、オープンソースなどが基盤としてできてきた。それからアートの世界では、昔からアバンギャルドなアーティストは、色々と実験的なことをやってきました。ただ、そういった一連の流れをベースとした上で、どういうことができるかを実際に実証していく必要があるわけです。この面子だと、みなさん発言したいことがたくさんあると思いますが、いかがでしょうか? 先ほど言い残したこと、あるいは今のドミニクさんのコメントを踏まえて、どなたからでもぜひお願いします。


3.1●収入源をどうするか

ハック:土佐:すごく基本的な質問ですが、ドミニクさんのやっていらっしゃるNPOの運営費は、どこから出ているのですか?


チェン:早速、手厳しいご質問ですが……(笑)。現在は主に寄付に頼っています。寄付とボランタリーで動いていまして、法人化したのもつい2ヵ月前です。事務局自体は、日本では2004年からやっているのですが、依然そこは頑張っていかないといけないですね。


土佐:アメリカの場合は?


チェン:アメリカも基本的には寄付で成立しています。向こうにはドネーション・カルチャーという社会基盤がありまして、すごく乱暴に言ってしまうと、アメリカでは大学からスピンオフしたNPOを支援することがよくあって、例えばヒューレット財団やロックフェラー財団のようなところから、お金がバンと出るようなことが習慣としてあるんですね。


土佐:じゃ、それと比べたら、日本ではすごく厳しいということですか?


チェン:もちろん厳しいのですが、将来的にはドネーションだけではなくて、例えば企業とのコンサルテーションも、現在はすべて無料で行なっているのですが、それはフェーズとして、まだ普及第一みたいな段階ですので……。今後は、それこそオープンビジネス的な枠組みを自分たちで実践していくことで、収益をあげていくことを考えています。


土佐:その対極に、八谷君の『PostPet』があると思うのですが。あれは八谷君にとって、どういう収入源になっているんですか?


八谷:ライセンスの収入とか、あと、一応コンサルティング的な立場で僕がディレクターをやっているので、「月にいくら」みたいな取り決めがSo-netとの間であります。あと、毎月定期的に作業が発生するので、それで入ってきます。実を言うと『PostPet』に関しては、ある程度ホールを空けておくというか……例えばおやつをユーザーが勝手に作れるように、わざとあまり厳しくチェックをしていないとか、そういうところがあって、意図的にユーザーが参加できるようなところを作っておいたわけです。あるいはデバッグの費用がなかったから、ベータ版を公開して、ユーザーにベータテストしてもらう、というようなこともやっていました。

当時としてはユーザー参加を結構やった方だとは思いますが、一方で、これを最初に販売したのはもう10年前ですからね。当時はクリエイティブ・コモンズみたいな概念もあまりなかったし……。あと、もし僕らが自分たちのリスクでやっていたとしたら、PostPetをクリエイティブ・コモンズにするということもありえたのですが、実際にはSo-netの開発費で作っているわけで、やはりそこの利益を損なうことは難しいんですね。

 だから、例えば仮に土佐君の中で「明和電機をクリエイティブ・コモンズにする」という発想があったとしても、その時(明和電機のマネージメントである)吉本興業がどう思うかというのも、すごく重要になってくるでしょ。


土佐:それは、厳しいですよねえ。


八谷:厳しいですよね。だから僕も、理念的にはクリエイティブ・コモンズをすごく支持していて、例えばさっき流した『OpenSky』の予告編ビデオにはいまのところまだCCライセンスをついてませんが、使っている曲はJASRACは通していないオリジナル曲なので、実際CCライセンスで、流通させることもあり得るんです。その一方で『PostPet』とかをクリエイティブ・コモンズでやっていくというのは、もはや僕だけでは判断できなくなっている。。


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3.2●ハードウェア製品を作るということ

八谷:あともうひとつ、「オープンソース・ハードウェア」みたいなものを考えたことがあって、あの『OpenSky』の機体である「M-02」の設計図面をウェブで公開することも一時期考えたのですが、結局やめたんですね。というのは、ソフトウェアの場合、ソースコードがあればまったく同じものができる……要するに「問題がない」ものができるし、逆に多くの人が関わることによって不具合を減らせるんですが、ハードウェアの場合、図面だけあっても、作る方の腕が伴わないとダメなんです。例えばエポキシの接着剤を十分に混ぜなかったとか、そのくらいのささいなミスでも決定的な不良品ができあがる可能性がある。これがTシャツとかだったら、不良品ができてもまだ害はあまりないと思うのですが、人の命を預かるような乗り物に関しては、オープンソースの概念と非常にくっつけにくいなあ、と思って、やめたわけです。

 ただ、デバイスアートの中では、その中間でうまくやっていく方法がないかな、と思っています。例えば、僕が今作っているこの「不可視ディスプレイ」などは、作り方を公開してもいいんじゃないかと思っています。


草原:ひとつは、クリエイティブ・コモンズみたいに「オープンにしてもいいよ」という発想があると思うし、もうひとつ重要なことは……例えばロンドンで先日発表されたばかりの岩井俊雄さんの作品『TENORI-ON』などもそうなのですが……商品化するとなると、メンテナンスやバージョン・アップの手間もあるし、あるいはたくさんの人がそれを持っていないとダメで、しかも、ハードだから実際にプロダクションしなくちゃいけない。そういうことを考えた場合、先ほどの八谷さんの『ThanksTail』というのは、量産のところを企業にやってもらわないといけないという、良い例だと思います。

 そういうふうに、企業とアーティストがどのようにコラボレートしていくかも、すごく重要な問題だと思います。例えばアーティストが仕様を公開して「みんな勝手に作ってね」というのは、先ほどの八谷さんの話にもあったように、Tシャツだったら可能だけれど、ハードウェアや機械になってきた場合、それではすまされない問題が実際に出てきそうですものね。

 ちなみに、私が海外でよく受ける質問のひとつに、「どうやって日本のアーティストは、企業に対してある程度以上のクリティカルな妥協をしないで、コラボレーションができるのか?」ということがありました。それから先ほどの土佐さんの話に出てきましたが、企業にプロポーザルを出す前の段階として、アイディアを出し、企画にして、プロトタイプを作るという段階がありますよね。「その費用は誰が出すのか? 企業はそこまでは出さないだろう。じゃあ、アーティストが自分で出すのか? でも、それでは、アーティストはとてもやっていけないのではないか?」、そういう質問もあったのですが、その辺はいかがでしょうか?


八谷:『ThanksTail』は最初に自分でコンセプトモデルを試作したのですが、それを製品版に落とす際には、やっぱり、かなり妥協が生まれるわけです。例えば、試作品は尻尾が二軸方向に動くように……横振り、縦振り、回したりもできるように作ったのだけれど、製品版ではコストの関係で横振りだけになっちゃいました。あと、一番大きかったのはPL法(製造物責任法)です。当時、三菱自動車の車輪が脱落する事故があったので、車に取りつけても絶対に落とさないために、セーフティ部品をいっぱいつけた結果、電池の交換がかなり大変になってしまったという反省点もあります。それは、法律上そうせざるを得ないので仕方がないですのですが、正直自分の中で後悔が残っているところだし、そのようにユーザビリティを落としてしまったことが、あまり売れなかった理由のひとつでもあると思っています。ただ、それは製品を作っていく以上、先ほどの『魚コード』の骨が丸くなるのといっしょで、やっぱりどうしても起きちゃうでしょうね。

 一方、ソフトウェアの『PostPet』に関しては、かなり妥協せずにできた。例えば、極端なことを言うと、あれってわざとメールを誤配するメーラーなわけです。そんなものをISPが許すとは最初は思っていなかったのですが、割りとノリで許してくれました。「ユーザーが面白ければ」「ユーザーが納得すれば」というのが、ソフトウェアの場合はまだ成立するところがあります。だからソフトウェアだと、比較的妥協せずにすんだというのが、個人的な実感としてはあります。

 ハードウェアの量産品を作っていくのは、特にコンシューマー向けのものは、ものすごく厳しいですよね。だから土佐君と僕で、「商品を作る」という点で似たようなアプローチに見えつつ、僕がデバイスアートで狙っているのはエンドユーザーとしては一般消費者ではなくてお店や企業です。つまりBtoC(企業対個人の取り引き)じゃなくて、BtoB(企業対企業の取り引き)。例えば、カフェ用やバー用のテーブルに限定しているのは、商業用のものだと比較的小ロットでも作れるし、高額になっても許されるし、操作が多少複雑でもメンテナンスさえできれば成立するから、そういうところから突破口を作っていけないかなと思っています。


草原:いわゆるギャラリー1点ものと、エンドユーザーの中間のところに……。


八谷:そうです、そうです。


草原:だけど商業的に使ってもらえるという、そういう落としどころがあり得るということですよね。


八谷:で、その発展で、さらに普通の人が使う、みたいなことがあるかもしれませんが……。普通の人が使うものを小さなところが作るのは本当に厳しくて。今、古い型の扇風機やファンヒーターが回収になったり、法律的にもどんどん厳しい方向に行っている気がします。それは、例えばクリエイティブ・コモンズとかがやろうとしている、自由な世界からは実は非常に遠かったりするので、その中間から攻めていけないかなと思うのですが。


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3.3●ライセンスの自由度は状況に応じて決定する

チェン:まず、そのクリエイティブ・コモンズというもの自体、独特の色がついてしまっていて、それをどうやって振り払うかというのも、僕たちの仕事のひとつです。例えば、クリエイティブ・コモンズとかオープンソースという言葉を官公庁の人に言ってみると、「ああ、あの著作権を放棄する人たちですね」みたいな、非常にエクストリームな人たちだというレッテルを貼られている一般認識もまだまだあるんですね。


八谷:(著作権を)放棄するわけではない、というのは、さっきのビデオを見るとよく分かりますよね。


チェン:そうです。今も八谷さんの言葉の中で「クリエイティブ・コモンズのように非常に自由な」とありましたが、実は非常に限定的なライセンスもあります。世界中のCCライセンスの使用統計が今年出てきたのですが、だいたい6000万〜1億個のウェブ・コンテンツ(GoogleやYahooといった複数のアルゴリズムの異なる検索エンジンのバックリンク検索を使用しているため、まだ集計にはブレがあるのですが)に、CCライセンスが使われて公開されています。そのうちの40%ぐらいで、第1位を占めているのが「リミックスしちゃダメ、お金儲けしてもダメ」という、一番厳しいライセンスです。なので、CCライセンスの世界の中でも、既存の著作権のフレームワークにより近いものが一番多く使われているわけです。それが何を意味しているのかというと、より自由な領域にゆるやかに橋がかかり始めているということです。

 ただし、一番声が大きいのが「自由文化だ!」と言っている領域なので、それが「著作権保護だ!」という声と反発しあうのではなくて、相互への連続性を認識して連携をうまくやっていければいい。逆に、無理になんでもかんでもオープンソースにすればいいとは考えていません。物質的な商品に無理矢理CCライセンスを付与すると言っても、必然性がなければあまり意味がないと思います。なので「自由にするがために」という思想偏重主義だとか、企業ブランディングのために「オープンにしています」という使い方は、もちろんあるとは思いますが、もう少し本質的なオープンソースやオープン・コンテンツの使い方があるとも思っています。

 そこで、今、クワクボさんとお話ししているのが、『Pri/Pro』は学生さんたちがいかにインタラクティブな創作物を作れるようにするかということです。別名「クワクボさんをいかにあと3万人増やすか」みたいなふうに、勝手に僕は思っているのですが。まず、デバイスの基本設計に基づいたクリエイティビティが色々な形で発揮されてくる。そこには、コンテンツ的なものや、ソースコード的なものも入ってくる。ソースコード的なものに関しては、今までのオープンソースのGPL(General Public License)を使った方がよく、コンテンツの部分は例えばクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが適しています。それぞれのレベルやニーズに応じて、自由度はやはり作り手が決めるべきなのではないかという話をしています。

 どうして『Pri/Pro』として自由な共有を促したいかというと、単純に「盛り上がってほしい」というか、より多くの人への参入導線を設けたいからです。オープンソースの共有経済的な利点をいくつか申し上げますと、商品情報の伝達コストが合法的に分散化されて、それは企業側が逐一メンテナンスをやらなくてもいいので、例えばNPOやNGOやもっと小さいコミュニティやベンチャー企業などで、社員もあまりいない状況でやっていくのに便利だろうと。一般的な言葉でいうと商品開発のコスト削減、分散化ですよね。『OpenSky』も設計図を公開することによって、アメリカの田舎で爆弾を作ろうとした少年じゃないですけど、自分で「メーヴェ」を改良しちゃったりする子が沢山出てくることを期待しながら、うまくコミュニティ形成を誘導すれば、実現性がより高まるし、多様性も生まれてくると思います。…『OpenSky』の場合は、八谷さんが求めていた技術者の人たちと幸せな邂逅をされていると思うのですが、例えば「こういう人が欲しいんだけれど、日本にはいないかもしれない」という場合、プロジェクトベースで動くことによって、国境や物理的な制約を超えた参加を促すことが実際に可能になってきます。


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3.4●クリエイターの権利を守りつつ情報を公開するには

草原:クリエイティブ・コモンズが必ずしも著作権を全部放棄するわけではないということは、たぶんこれはアーティストにとっては当然の話で、特に自分が作ったものを勝手に改変されては困るということがあると思います。ただ、そのように制約をつけた上で、写真とかだったら「作者の名前をつけた上でどんどん転載してもいい」とか「見てほしい」とか、たくさんあるわけです。音楽の場合も色々な人に自由に聴いてほしいというのがあるからこそ、こういったものが出てきたと思うわけです。で、前にクワクボさんがお話ししていたのが、例えば『Pri/Pro』みたいなものを作ったところで、これを全部公開したとして、じゃあ、それをベースに商品化したもので利益を得るような企業が出てくるかもしれないという問題がある。それと、結局今の著作権の問題と公開という問題、あと(これは岩田先生の分野に近くなってきますが)ちょうど先ほど、河口洋一郎さんと話をしていたのですが、今の特許法だと、一旦特許を出してしまうと論文が書けない。逆に論文を書いたら、権利を放棄することになる、というようなことがあったりします。つまり今、自分のアイディアや技術開発を、どのように自由に使ってもらいつつ、自分の権利を確保するかというところで、たぶんまだしっかりとした枠組みができていない状態なんですよね。でも、クワクボさんは『ビデオバルブ』などをすでに市販化されてもいるわけですが、あのプロダクトと、たとえば今度の『Pri/Pro』の場合の違いについてはどう思われますか?


クワクボ:『Pri/Pro』は基本的には教育用というふうに、一番最初のステップとしては、それを固めていこうと思っています。『Pri/Pro』に関しては、電子回路としては何ら新規性はないんですね。例えば「ジェネリック医薬品」というのが最近ありますが、言わば「ジェネリック回路集」なんですよ。僕は回路を自分で開発しようという時に、今まで色々な文献や雑誌を見て、そこから回路図をみつけて、それを自分なりに変えてみたりしていたのですが、結局気づいてみると、すべて過去の何かの参照によって成り立っているのが明らかなんですね。しかも、使うトランジスタひとつからして、他の人の技術を持ってきて、パックされたものなのです。

 例えば学生が授業で何か作ろうとする時、とりあえずグーグル検索をかけて自分のやりたい技術……「こういうセンサーを使いたい」と考えて記事を探してくるわけですけれど、それを使って自分の作品を実現させるのに、逆に言えば「これを使っちゃってもいいのかな?」という不安に駆られるのではないかと思うんですよ。特に明示されていない場合、「僕がこれを使うことによって、法的に何かまずいことをしているんじゃないだろうか?」という不安を取り除くという意味で、CCがあるのではないかという気がします。なので、今まであるものをコピー&ペーストしていく時に「あ、これは使っていいんだな」という、安心材料になると思います。

 あと、『Pri/Pro』を使って作ったものが製品化され、商用利用された場合はどうだろうという話ですが、それはたぶん、ケース・バイ・ケースで判断するしかないと思いますね。それによって作られたものが回路とは違う次元で、全く新しいアイディアが入っていれば、それはもちろん新しい権利を生むべきだと思うし。ある人が作品を作って「僕はこの作品を、もう少し他の人にアレンジを試みてもらってもいいよ」と思う人は、そういうレギュレーションにすればいいと思うので、その辺りの自由度がつけられるのがミソだという気がします。


岩田:特許の話が出たので、補足したいと思います。まず、デバイスアートの特徴のひとつとして、「デバイス自体がコンテンツである」という側面と対をなすのですが、作品が実世界と関わりを持つんですね。そうすると、実世界にある有体物=「形のあるもの」になる。で、「形のあるもの」についての知的財産というのは特許になる。もちろん著作権もありますけれど、同時に特許というものが関わってくる。では「作品の特許」って何なのだろうか? というのが、このプロジェクトを始めて以降、改めて考えさせられたことです。たぶん、クワクボさんも特許を取られていると思うのですが、どういう形で作品のハードウェアの部分についての権利を保護しつつ、それを普及させるか、というのが、おそらく当プロジェクトの最後には結論を出さなくてはいけないのではないかと思っています。

 あと、先ほどの「論文と特許の関係」という議論をちょっと説明しますと……現状だと、論文を出してしまうと、要するにそれは公知になってしまうので、基本的には特許は取れないという仕組みになっています。ただ、例えば同じ内容だったら、1年以内に特許を出してもいいというように、いくつの特例があるのですが……。基本的には特許を取りたかったら、最初にそれを取得しておいて、その後で論文を出すという手続きを取ります。つまり自分が作る権利は特許で守っておいて、世の中に普及させるために論文を出して、色々な人に読んでもらうというわけです。

 ただ、誰かが特許を取得しているものと同じものを、個人的に真似をして作ってみることは、別に禁じられていません。ただし、それを売ろうとした時、特許を持っている人が別にいると、これは困ったことになります。

 ただ、こうした特許とコモンズの関係というのは、まだ未知の問題だと思います。仮に有体物に関してコモンズ化することを考えた場合、やっぱり先ほどのお話みたいに、特許を運用する仕方についてのグラデーションがかかってくるだろうと思います。今後はそれを明確にしていかなくてはいけないでしょう。あと、自分が持っている特許に関しては、運用の段階である程度の柔軟さを持たせることができるのではないかと思っていて、例えば「この部分に関しては、誰かが真似をしても、普及を重視して特に文句を言わない」と決めれば、自分の持っている知財のある部分を誰かが真似して製品を作り、それが世の中に広まったことに目をつぶる……などといったことも、個人のレベルでは可能でしょう。ただし、それを社会上のシステムとして、どうはっきりさせていくかということは、今後の課題でしょうね。


チェン:今の岩田先生のお話の補足ですが、著作権と特許というのは、本来全然質の違うものです。まず、著作権というのは、別に登録しなくても天から降りてくるわけです。これを無法式主義といいます。ただし特許の場合は、モノにまつわる物質的なコストがあり、その製法過程自体をプロテクトするという役割があるので、著作権とは全然性格が違うものですね。

 例えば、クリエイティブ・コモンズが想定しているデジタル情報の自由度を、そのまま特許にも当てはめようという人がたまにいるのですが、個人的にはそれは違う話だろうと考えています。例えばこのあいだIBMがチップをGPLライセンスで公開して話題になりましたが、その辺りも、先ほど岩田先生がおっしゃっていたような、「自分が作ったものが他の人にパクられ、先に特許を取られてしまい、その特定の人や団体によってガチガチに拘束されてしまう」ことを防ぐために、まず自分が特許を取っておいて、機能的な部分に関してはGPLなどで公開していく。そういうオープン性を前提にしたやり方やノウハウが、今まさに蓄積されつつある段階だと思います。そういった議論を踏まえて……例えば「デバイスアート・ライセンス」みたいな感じで、それこそシナリオに応じて段階的に6つぐらいのライセンスを取り決めておくような話も可能だと思います。


草原:確かに最近、防御的特許という言い方もありますよね。その辺の問題とも関連して、先ほどお聞きしそびれたのが、実際にアーティストがメディアアート的な作品をコマーシャル・プロダクトに落とし込んでいく場合、どういうプロセスを踏まれていくのかを、ご経験のあるお三方に伺っておきたいのですが。


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3.5●商品化と量産のためのコストとリスク

八谷:例えば「試作品を作る資金を出すのはどこなのか?」というご質問がありましたが、段階による話だと思っています。『ThanksTail』に関して言えば、量産用の試作品はやっぱりメーカーじゃないと作れない。第一次試作として「こういう機能のものですよ」というコンセプトモデルは、僕が作ったのですが、量産前試作は当然メーカーが作りました。

 それで、このデバイスアートの方針には商品化ということもある程度入っていますので、僕が今回のこのプロジェクトで作っているのは、第一次試作だと思っています。だけど、そこから先、どこの会社が実際の量産のリスクを負うのか、とか、プロモーションをどう展開するのか、といったことは、ほとんど議論もされていないし、全然クリアになっていない部分だと思うんですね。だから本当に商品化までいきつこうと思ったら、そこはきっちりやらなければいけないところなのですが……実を言うとそこが、JST(科学技術振興機構)とかCRESTの規約では想定されていないので非常に動きにくかったりします……というところも正直あるのですが、土佐さんはそれについてどう思っていますか?


土佐:そうですね、数字で言うと、『魚コード』の金型を1個起こすのに300万円。その前に、僕が作った『魚コード』を、金型用に図面を引き直して、型を削って原型を作らなければいけないとか、そういう作業を含めると、合計1000万円近くはかかると思うんですね。それを今度は量産する時には、1本あたりの原価もありますし……やはりとてつもないお金がかかる。さらにはその後、宣伝をしないといけない。メーカーが宣伝をするところもありますけれど。初代製品版『魚コード』を製造した鳥井電機さんは、OEM生産(Original Equipment Manufacturing)だったのでソニー・ミュージックが広告を出しました。『魚コード』は新聞広告がありまして、朝日新聞の一面を出したのですが、あれで1000万円かかりました。そうした宣伝費とか色々な予算を積み重ねていくと、やっぱりモノのプロダクトを作るのは、いかにお金がかかるかということを感じました。

 ドミニクさんのやられている仕事というのは、やっぱり「情報」だと僕は思うのです。で、情報の場合は、 何と皆さん各自が(パソコンという)生産する機械を持っているんですよ。通信で情報をゲットしてくる機能と、その中で大量生産するミシンのような機能と、電話機の機能と、外の世界にそれを送信して流通させる機能……コンピュータの中にそれらが全部入っている。そして、ほとんどの文明人がそうした「生産機」を持っている状態なので、アマチュアが参加できるわけです。だからクリエイティブ・コモンズにも、ピンからキリまで作品が集まってくる。素晴らしい作品から「ええっ?」っていう、ただのリミックスまで……でも、そういう状況になっているから、こういう媒体が出てくるんだと思うわけです。

 かたや、モノ作り、物質の量産というのは、ものすごくお金がかかる。それはプロフェッショナルの世界だと僕は思うわけです。企業が量産する時には、ものすごくリスクを負うわけです。だから「あなたの才能に賭けるよ」と言わせないといけないので、まずその説得をアーティストは企業にしなければならない。だからといって、企業というのは固苦しいわけでもなくて、実はものすごく柔らかくて、最終的には「売れればいい」んです。売れるものが作れればいい。すごく単純明快。売れるということはどういうことかというと、大衆が何を欲しがっているかに応えるということですよね。

 ぶっちゃけた話、僕が今1億円持っていたら、適当なものを大量生産して、商品にできる。でも、それがすべて在庫として残ってしまったら、それは全然商品じゃない。感動した人がお金を払うという、その時に初めて商品になるわけです。企業はアーティストの提案したものの中にそういう商才を見つけたら、比較的簡単に出資してくれると思うんですね。

 メディア・アーティストの方、特に海外の方に、「何でお前はそんなに企業と組めるんだ?」と僕もよく質問を受けるのですが、そういう意味で言うと、海外のアーティストの方はこだわりがありすぎる。コンセプトが固すぎるというか。自分の作品に込めすぎているがゆえに、企業に買ってもらうというところまで行けていないような気がします。

 もうひとつの方向として……クワクボ君の『Pri/Pro』もそうなのですが、教育というものがあります。企業が量産するのではなくて、大衆が量産するという方法も、やっぱりある気がします。『Pri/Pro』を公開して「みんなで作ってください」というような方法は、いわば大衆が生産者になるわけですよね。料理というのは、その典型だと思います。レシピをウェブ上にアップしたら、世界中の人が同じ料理を……それが旨い不味いは別として、作ることができる。だから、そういう方法もある気がします。ただ、そこでも考えないといけないのは、そのレシピを考え出した人にどうやってお金が入ってくるのかという、課金の部分ですね。そこをまるっきり放棄してしまうと、食べていけなくなるので……そこの部分で、クリエイティブ・コモンズさんの活動が、とても重要になってくると思います。


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3.6●「欲しい!」と思わせる商品を作るには

草原:この辺りが、ヨーロッパなどでよく質問を受ける、「なぜあなたたちの作品は商品化できるのか?」ということに繋がってくるのですが、そこで大切なのは、実は「プレイフルである」ということだと思います。もともとこのプロジェクトが始まった頃の我々のひとつの疑問点として、日本のメディアアート作品が海外で「深刻さが足りない。メディア・テクノロジーに対してポジティブすぎる」とよく批判されることがあったのですね。西欧では「アートはクリティカルでなければならない」というのが一般的なスタンスなのでしょうが、たぶん我々が共有している考え方としては、クリティカルであることとネガティブであることとは違うだろう、と。これは教育の話とも関わってくるのですが、「テクノロジーとは何なのか」を見せていく、露わにしていくという辺りでも色々なアプローチがあって、しっかりとしたコンセプトを持って、クリティカルに、だけど少なくとも1番上のレイヤーとしてはすごくプレイフルに、っていうアプローチは十分あり得る話です。

 だけど……一言でメディアアートと言っても様々な作品があるので、あまり一般論としては言いづらい部分もありますが、例えばヨーロッパで普通に美術系の大学院生とかが考える「メディアアート」っていうのは、「メディア・テクノロジーを使うと、こんな恐ろしいことが起こる」というようなアプローチがすごく多い。でも、それだと、アート作品としては良いかもしれないけれど、商品化は絶対に無理ですよね。例えば『PainStation』っていう、対戦ゲームに負けると本当に手が鞭打たれるアート作品がありましたけれど、たぶんあれは商品化できないですよね。

 かたや日本の皆さんがやられていることには、プレイフルなアプローチがある。「テクノロジーはこんなことができるんだ」というようなアプローチを持っている。それから八谷さんの『PostPet』のように、企業のエンジニアが考えつかない、だけど一般の消費者が潜在的に持っている欲求には訴えかけるような部分があったからこそ、それが商品化できたと思うわけです。


土佐:でも、僕が思うに、八谷君の作品ってすごく毒がある気がしますよ。かなり暗黒な部分がありますよ。だけどそれをすごく可愛らしいもので、オブラートに包んでいますよね。


八谷:乗ったら死にそうな飛行機も、何となく「あれ、乗ってみたい!」と思わせちゃったり……(笑)。あれ、量産したら、ヤバいと思いますよね。


土佐:『PostPet』もかなり暗黒だと、僕は思っているんですけれど。


八谷:そうですよね。ある意味、友だちに順番をつけさせるようなソフトですからね。


土佐:それも可愛らしさでどうにか誤摩化していますよね。


八谷:そうですね(笑)。


土佐:でもその「可愛らしさ」ってどうですか?


八谷:それは、先ほどの草原先生の話と関連づけると、逆に「プレイフルなだけ」だったら、アーティストが作る意味があまりないというか、だいたいゲームに負けちゃうんですよね。多くの学生さん達が作った作品を観る機会もあるのですが、やはり技術だけとか楽しさだけ、にとどまるケースが多くて。その「楽しさ」というのも、あまり追求されてなかったりする気がします。一方、アートとして作るのなら、批評的な要素が入っていた方がいいと思いますし……。

 ただ、そうした批評性をあまりにも表面に出し過ぎる、やはり商品にはならないから、作品の中にたくさんのレイヤーを作って、パッと見はすごく可愛らしくて、そこで「欲しい!」と思わせるように作っているというのが、自分が意識的にやっているところだったりします。批評性とかポリティカルな部分は、なるべく下のレイヤーに隠しておいて、気づく人だけが気づけばいい。

 日本人アーティストがなぜ商品化がうまいかというのも、やはりそこを多層レイヤーで……苦い薬の周りに糖衣をつけたようなものを作れるからだと思います。そういうセンスが……作品を本当に商品化していくために色々な落とし込みをする技術が自分にも一応あるとは思っていますけど……土佐君とか、すごくありますよね。そういうセンスを学生さんに伝えていけると、下の人たちがもっと作品を商品化していくことに繋げられるのではないかと思うのですが。いかんせん僕も土佐君も、あまり学校の先生をやることに興味が薄くて……非常勤講師とかはやっても「あまり学生に時間を使うのは、ちょっと……」と思っているような気がするのですが、どうですか?


土佐:いや、そんなことはないですけれど。


八谷:そんなことないですか? 僕は、デジタル・ハリウッドの大学院で3ヵ月間だけ教えたことがあって、それも週に1回だったのですが、それだけでもう消耗しちゃったりしましたから……。ただ、商品化の時にどうするのか、みたいなことは、やはりケース・バイ・ケースだったりもするから、徒弟制度みたいな形でないと非常に教えにくい部分もあったりしますよね。

 具体的な事例をひとつ挙げると、先ほど展示で観た『影の世界』っていう、稲蔭先生のところでやっている慶応大学の学生の作品なんか、すごく良かった……僕のテーブル・シリーズとも共通するような、実際の商業施設に使えるようなものを作っていたりするのですが、でもやっぱり、いまひとつ落とし込みが足りないと感じる部分もある。そこを一段階乗り越えると、本当に「これ、うちの店で使いたいんですけれど……」という人が出てくるような気がします。そしてやはり経験を積んでいる人は、そこまで持っていくことを意図的にやっている気がします……というか、自分はやっているつもりなのですが。商業施設に置けるレベルのものをちゃんと作ろうとして、今回の「デバイスアート展」ではやっているつもりです。


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3.7●購買層はどこか?

岩田:商品化を考える場合、「購買層はどこか」ということによって、商品化の仕方も全然違ってくると思うんですよね。先ほどの議論だと、全くのコンシューマー全般というのは、やはり大変だろうと思います。その他に、先ほど八谷さんが業務用にターゲットを絞っているとおっしゃっていましたが、それは落としどころとしては非常にいいと思いますね。ある意味、プロフェッショナルが使うわけですから、プロ同士の暗黙の了解である程度のところまではいけるということがある。それから今、社会現象として格差社会なんて言われていますけれど、富裕層と底辺のところとに二極分化しているとします。その富裕層の消費をいかに捉えるかが、今の産業界のひとつのテーマなのではないかと思います。すると、その富裕層に訴えかけるような「商品化されたアート」というのは、たぶんあり得るのではないかと思います。本当の富裕層は1点もののアートを高額で購入するわけですが、そこまでではない富裕層に対しても、けっこう高額な商品が今、売れているわけです。その辺りもひとつの可能性としてあるのではないでしょうか。明和電機の「EDELWEISS」シリーズは、その辺を狙っているのではなかったでしょうか?


土佐:あの……富裕層にも「頭のいい富裕層」と「頭の悪い富裕層」がいて。悪い方は金(きん)でいいです。金!


八谷:金って、ゴールドの……。


土佐:そう。頭の悪い方……というか、センスのない富裕層には、それこそ金色に塗ったり、スワロフスキーのクリスタルを引っつければ売れますよ。問題は、センスがある方ですね。僕もよく思うのですが、商品を作る時に富裕層……精神的にもすごくリッチな人と、底辺の……まあ、ヤンキーというか庶民ですよね。そのピラミッドを描いた時に、天辺と一番下を狙えばいいのかなと思うんですよね。実はこの2つはすごく近くて、ヤンキーもやっぱりセンスがいいと思うんですよ。面白いか面白くないかが、彼らは直感で言えてしまうから。で、一番トップのセンスのある人も、やはりそれが分かっている。問題は、その中間にいるムニュムニュっとした部分に対してどうするか、という気がしますね。


八谷:明和電機は、その上と下を狙っているんですか?


土佐:うん!


八谷:『魚コード・ストラップ』とかは、やっぱ下なの?


土佐:ああ〜! そこはやってみた。


八谷:七色に、とか……。


土佐:どこまで下世話にできるんだろうか、というのをやってみました。で、やっぱり、あれが一番売れました。


八谷:ああ……。そうなると、上は和菓子とかですか?


土佐:上は『サバオ』。「サバオで〜す」って。


八谷:サバオは上なんだ(笑)。ちゃんと15万とかする方の『サバオ』ですね。


土佐:高い方です。はい。もうひとつ、クワクボ君が良い例だと思うのですが、「かっこいい」というのもあると思います。クワクボ君が作るものって、やっぱり、かっこいい。『ビットマン』を最初に作ろうと言った時も、クワクボ君がプロトタイプとして作っていた携帯LEDのガジェットを見た時に、日本人の持っている細やかさ……手の上にポンと乗る細やかなものに、すごくいい味わいを込めて作るな、と思いました。そういうカルチャーと結びついたかっこよさ、面白さというのもあるなと思いました。その辺については、クワクボ君、どうでしょう?


クワクボ:あの……本当は、商品化というテーマだったら、今日は辞退させてほしいと僕は言っていたんですけれど(笑)、実は最近、商品化にあまり興味がなくてですね。それは僕が学校でどっぷりと教え始めたせいかもしれませんが……。最近、そういうノリのガジェットがバーンと出ると、ブログとかでバーまって、2週間ぐらいで次のものが出たりするので「これはやってられないな」と思って、ちょっと今は日和見状態っていうのでしょうかね……。

 あと、プロダクトと言った時、メガヒット以外にも色々あると思うんですね。例えば、金型を起こさなくてもできるプロダクトの作り方をしていけば、それこそ数千個レベルで出せる。それで収益が良ければ、それはそれでいいのかなという気がします。それで、さっきのキューブさんのプロダクトで「腰を振る犬のUSBデバイス」というのがあって、すごくあれに感動したのだけれど、同時に「僕は、これはできない」って思ったんです。だけどメガヒットを狙う心意気というのは、あっちじゃなくちゃダメだな、という気がした。やはり僕はもう少し少量で、やや限られた人が面白がるようなものを作った方が良いんだろうな、と思いました。


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3.8●アーティストが公的な予算を使うということの難しさ

八谷:僕は、土佐君がこの「デバイスアート」でやっているのに、悩みというか、迷いが見える気もけっこうするのですが、その辺りはどうでしょうか? 例えば、ショーで披露するっていうことも……元はJSTから出ている研究費なわけですよね。だから用途にも、色々な制約がついていたりするわけです。あと、作るものに関しても、土佐くんは最初「EDELWEISS」で行こうとしていたのだけれど、やっぱりちょっとそれは向いていなさそうだ、とか……その辺りの悩みを聞かせてもらえればと思います。


土佐:一番の悩みは先ほど岩田先生が指摘された、いわゆる芸術性の著作権と特許というものは、どうなるのだろう、というところで悩んでしまったわけですね。自分は「ものを作って、売って、暮らす」ということを基本としているわけですが、そこで最初は「EDELWEISS」のガジェットをこの「デバイスアート」で作ろうと思っていたわけですけれど、「EDELWEISS」というプロジェクトに込めた自分の思いというのは、実は「女とは何か?」という物語なんですね。言ってみれば、そこはすごく「私小説」なんです。それを国の税金、国民の税金を使って作っていいのか? ということに、やはりぶちあたった。小説家でそんなことをするというのは、あり得ない話でしょう。もしも僕がただのエンジニアだったら、そんな思いを製品に込めてはいないだろうし、ただ面白いだけの、もしくは、楽しめるだけの作品を作っていけたと思うのですが……。

 ところがCRESTでそれをやっていった時、ものすごく自分の「私」的な部分まで引きずり出されてしまう。さらにそれが商品になっていく時には、みんなに公開せざるを得ない。そういうものじゃないな、という気持ちがすごくあって。で、途中でワークショップ形式にして……僕自身はワークショップとは思っていないんですけれど……『Knock!』のデバイスを作ったり、教育の「おもちゃ研究所」の方にシフトしたのは、やはり国の予算を使ってモノを作るのであれば、そういう「私」的なものではなくて、みんなが使って楽しめるものの方が、すんなり来たわけです。もともと「Tsukuba」シリーズというのは創作楽器で、作る過程もすごく楽しいので、そこに落とし込んでいった、という感じですね。


岩田:研究代表者としてコメントさせていただくと、別に「私小説」でもかまわないと、私は思うんですよね。たとえ「私小説」的な思いが作品のコアにあったとしても、結果として非常に人気のある作品になって、それが産業化されて、商品が売れてくれれば、国はそれで消費税が入るわけで、研究予算が有効利用されたことになる。だからそれはそれで一向にかまわないと思うのですが、やはり作家としての自己実現というのは色々とこだわりもあると思いますので、そこの部分の判断は、作家ご本人にお任せしたいと思います。


土佐:これが映画とかだったら、たぶん……韓国とかだと、国の補助金を受けて映画を作って、それを大ヒットさせて、海外からたくさん外貨をゲットしたりしていると思うのですが。うーん……何かやはり、モノの量産というところで、ちょっと僕には……何とも言えないのですが、「やっちゃいけない感」があったんですよね。(笑)


八谷:いや、分かります。もしも仮に映画だったら、いいんですかね?


岩田:実はそういうのがあるんですよ。『BLOOD THE LAST VAMPIRE』っていう、有名なCG映画がありますよね。確かあれって、IPA(情報処理推進機構)の助成金が実は入っているんですよね。だから最後のクレジットにIPAって出てくるわけです。だから我々のCREST予算みたいなお金で映画を作って、ちゃんと興行しているわけですよね。だから本当は「あれ、いいの?」と僕も言いたけれど……。


八谷:それがOKだったら、僕らとしても心情的な抵抗が軽減するかも? やはり「税金がベースにある!」って思うと、あまりプライベートなことをやるのはどうかなぁ、と思う部分がどうしてもあるから。


岩田:いや、だけど、もともと芸術作品って、国王がいる時代は王様がパトロンになって振興させたわけですよね。だから王様がいて、初めて芸術作品が成立したわけで、そういう国のお金に制約ができたのは、本当に近代以降の話。おそらく芸術の世界だったら、20世紀になってからじゃないですか? そもそもモダンアートというもの自体も、パトロンがいなくなってからの芸術分野を言うわけでしょう。だったらデバイスアートというものは、実はパトロンの時代に戻っていいのではないかとすら、個人的には思っているんですよ。


土佐:うーん、なるほど……。


クワクボ:ただ、今は「1円からの領収書」という時代なので、なかなか大変だなあという気がします。やはりそこらへんでとても神経質になるというのが、今までアーティストは「領収書を切れ!」と言われてきた立場だったものが、バジェットをたくさん使える立場になった時、やっぱり、今までやってきた「クリーンでいたい気持ち」と逆になっているというところも、少しあるのかもしれませんね……。


草原:あの、その辺のところをあまり気にしすぎると、逆にすごく問題になってくると思うんです。こういうことをやっていると海外からどういうレスポンスが来るか、という話をさっきからしていますけれど、ひとつ聞かれることは「それはアートなの? エデュケーションなの?」ということですよ。結局、「誰かのため」というところにシフトしていってしまうと、アートとしてのインパクトがなくなっていくと思うんですよね。


八谷:そうですね。あとは、今回の僕の作品とかは、ある程度仕様を公開して、パブリックなものにすることによって……もともと文科省の基金で作っているわけだから、そういうことによって社会に還元することができるのではないかと思ったことがあります。それはクワクボ君がCCライセンスを使って、回路図を公開していることとも近いような気がするのですが、どうでしょうか?


クワクボ:そうですね。僕の『Pri/Pro』の場合は、本当に還元型であるというところで、僕はすっきりしてやっているのですけれど……。というのは、今まで僕は自分が作りたい作品をやっていたわけだけれど、この『Pri/Pro』をきっかけにして、ある意味他の人が作ったものを編集して、自分が作品を作っていることに気づいた。そういう回路が開けてきたので、それを促進するのが……それもまた自分のアーティスト活動の一部なわけです。何て言うか「気の流れを作る」みたいなことをやってみたい感じです。


八谷:僕もとりあえずCRESTでは『Fairy Finder』に限定してやっているのは、やっぱり一部でも教育とかに関連するところだったら、自分としても割とすっきり作れるという感じですね。本当は『OpenSky』みたいな航空機開発プロジェクトの方が、予算規模的にも助成金が必要なのですが、やっぱりあればリスクがありすぎるから、公のお金は使えないと思ってしまう。事故で死んじゃう可能性もあるんでこちらは完全に自分のリスクでやってます。あるいは、もしも僕が土佐君の立場でも、「EDELWEISS」はやっぱり非常にやりづらいだろうなというふうに思いますね。


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3.9●商品化するがゆえに出てくる責任感

土佐:僕が学生だった頃、あの魚の形の弓の作品、『弓魚』を「30万、30万……」って思いながら作ったんですよ。アルミを削っただけの彫刻なんですけれど、30万円で売ってやろうと思っていたの。そうすると、すごく気合いが入ったんですね。それまでは「わ〜い」って感じで作っていたんですけれども「これを30万円で売ってやる!」と思って。


八谷:もう買い手がいたわけではなくて?


土佐:ではなくて。


八谷:値づけとして、「30万のものを作るぞー」と思って、気合いを入れて作った。


土佐:そうそう、気合い入れてね。「この汚れを取らないと買ってもらえない。ここは磨いて!」とかね。だから商品化するがゆえに責任感が出る、売らんがために責任感が出るというのは、やはりあるんですよ。それが「お金がドン!」とあって「さあ、作りなさいよ」という時には、やっぱり作り方を変えていかないと、作品のツヤが出ないんですよね。


八谷:僕も、今回の展示はプロモーションだと思っているので、例えば「うちのクラブの内装、どうしようか」とか「次のお店の内装をどうしよう」って思っている人が見て、「おっ、これはいい!」と思わせようとして作っている部分はあるんですね。だから実は3DディスプレイキューブではLEDの何個かがつかない状態でいったん筑波大学に納品していたのですが(笑)、ちょっと時間がなくてテストパターンでチェックしきれなかったのですが、やっぱりそれはそのままでは「絶対ダメ!」みたいなこだわりも一方ではあったので今回はパーフェクトにしてあります。「もしもそういう(3Dディスプレイキューブのアイディアを買ってくれる)人が来た時にチャンスを逃しちゃうから、完璧じゃなきゃダメ!」みたいなことは、すごく意識して作っていたりしました。


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3.10●研究成果をもとに企業が製品を作る:権利と利益分配の仕組み

草原:こういう分野を育てていくためには、ある程度の補助と言うか助成と言うか……英語で「watering」という言い方がありますが、そうした育てていく部分が必要だろうと思います。海外の人と話しても、そういう「どこに水をやるか」みたいな話題が出てくるんですよね。さっき「プロトタイプを作るお金をどこが出すべきか」という話がありましたが、そこにサポートがあれば企画を練ってプロトタイプを作る部分にアーティストが集中できるという利点があるのではないかと思うんですね。先ほど土佐さんが「在庫が残っちゃったらしょうがいない」とおっしゃっていましたが、商品化するからには最終の部分では、ちゃんとした商品として売れて、そこで企業も儲かるし、アーティストにもお金が入ってくるシステムにしないと、商品化したことには全然ならないと思います。だから(JSTがどういうふうに考えているかは分かりませんが)、実はこのデバイスアートの予算は、アーティストがクリエイティブなアイディアを売れるレベルにまで持って行くために使うべきものではないか……ただ、クリエイティビィティがどこから来るかというのは、それがプライベートな思いから来たとしても、それはそれで全然かまわないと思うのですが、どうでしょうか。


土佐:もっと、あからさまにしていくと……じゃあ作品を作りました。で、そこにはもしかすると特許というものが発生するかもしれないし、キャラクターやコンテンツが発生するかもしれない。そうなると、何らかの権利が発生してきますよね。それをJST、今回のCRESTでやる場合は、まず大学に半分帰属するかたちでしょうか。特許が100%?


岩田:それもいくつかの比率で戻ってきます。


土佐:今度、それを「量産しますよ」という企業が出てきた場合、企業には特許料は入らないんですか?


岩田:実施料が入りますよ。大学が大半を持っていっちゃいますけれど、発明者にも一部は来ます。


土佐:発明者じゃなくて、量産をした企業側には……。


岩田:量産した企業側は実施料を払います。


土佐:あ、そうじゃなくて、印税というところです。


岩田:モノの場合は印税じゃなくて、要は売れた分の利益ですよね。それは企業に入ります。その中から企業は特許権者に実施料を払うわけです。


土佐:そこで質問なのですが、そうしたモデルの時、企業にとっての(言葉は悪いですけれど)「うまみ」というのはどこにあるのでしょうか?


岩田:企業は、その特許に書かれている発明が非常に良いと考える。で、「これを使って商品化したら売れる」という判断のもとで商品を作り、その利益が企業に入ります。その利益の一部が、特許の実施料として特許権者のところに行くという図式になります。


八谷:これに関して言うと、企業のメリットは、一次試作をしなくても「だいたいこんなもの」という感じが分かるということじゃないかと思っているんですけれど。


土佐:開発費が少なくてすむ、と。


岩田:そうですね。


草原:企業としても、特許料を大学に払っても「この商品はいけるぞ」ということであれば作るわけで、それは他の場合でもあり得る話じゃないですか?


土佐:工学の場合、そういうことは普通に行なわれているのですか?


岩田:実は普通でして……CRESTのこのプロジェクト自体も、そういうスキームのもとに設計されています。研究成果を特許化して、その特許を使ってどこかの企業が製品を作る、ということです。


土佐:そこでやっぱり引っかかってくるのは「芸術性」とか……妙に自分がこだわってしまっている「個人」というもののような気がします。


岩田:だからその、アーティストの方々がこだわっている「個人」というものと、それから特許で権利化する「発明」というものというのも、実はおそらく違うものだと思うのです。だから、例えば私小説を作品化して、その過程で何らかの発明があったとすれば、その部分は特許を取って、権利を守るということになるわけですね。


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3.11●最後に各自から……

草原:かなり具体的な話にまで踏み込んできたのですが、実はそろそろタイムアップになりつつあります。まだ「メディアアートを商品化すること」についての問題点が出始めたばかりで、それに対して「どんな解決法があるのか」についての議論は、これからだと思うのですが……。最後に各自から、1人1分間ずつぐらいで、どうしても言いたかったことなどありましたら、お願いします。


クワクボ:たぶんアーティストにとっては、自分の作品はすごくユニークだという思いがあって、かたや特許というシステムはユニークだけれど万人に恩恵を与えるということが基本ですよね。だからその辺りの部分で違和感があるというか、理解しきれていないところがあるのかもしれませんね。僕自身、CCを理解するまで……いや、まだ理解しきれていないのですが、1年ぐらいかかりましたので、この「特許と芸術性」という問題を解決するのも、けっこう時間がかかりそうな気がします。でも、そのあたりが、ちょうど今日の問題の軸なのかなという気がします。


八谷:僕自身はやっぱり作家性みたいなものと、JSTのような研究費的な予算でモノを作るということの間には、けっこう大きなギャップがあると思っているんですよ。ただ、ぼくらは難しいことをやっているんだけど、これはなるべくうまく着地させたいな、とも思っています。そうしないと、今メディアアートの作品を作る学生さんたち、あるいはそういうものを研究している大学ってたくさんあるのですが、そういう人たちの活動が本当に学校の中だけで完結してしまって、面白いものが世の中にでる、っていう回路が開発されないから。自分や土佐君がやっているようなことを面白いと思って入ってきた子たちが、自分たちも面白く商品や作品を作れるようになるきっかけとして、CRESTの「デバイスアート」は良い事例として成功させたいと思っています。

 ただ、開発に関してはけっこううまくやれていると思っているのですが、展示はちょっと……どうでしょうか。僕の作品はこの後、筑波大学の倉庫に入っちゃうわけで、今回は5日間しか展示の期間がなかったから、もっと現物を長期間見てもらえる機会を作りたいですよね。メディアアート作品って、現物を見てもらったり触ってもらったりしてナンボだと思うので。この「デバイスアート・プロジェクト」で常設展示をどこかでやろうという構想もありますよね? そういう構想もこれから実現していって、良い事例を作りたいと思っています。


土佐:「デバイスアート」というものと「デバイスアート・プロダクト」、あるいは「商品としてのデバイスアート」と「アートとしてのデバイスアート」というのは、まったく別物だと思っています。「商品化するデバイスアート」というのは、やはり売れるための最後の演出が必要だと思うんですね。八谷君の『PostPet』を見ていても、そこの能力があるから売れた、大ヒットしたものです。そこの部分というのは、たぶん特許や著作権とは違ったテクニックの部分だと思うのです。相手が何を欲しがっているのか、その相手の気持ちになって作ることなので、もしかすると商品というのは、そこが一番重要な部分なのではないかと思っています。

 ただ一方で、それこそ「芸術的なエンジニアリング」というのが、もしもポンとできた時に……それが存在するだけで芸術的な機構・システムができた時には、それってすごくオリジナルなものなので、何もしなくてもそれが一人歩きをして商品になる可能性もあるとは思います。例えばそれは……ロウソクというそれまでになかったものがポンと出てきたとして(それはライティング・アートとしてですが)そのロウソクだけで美しいし、ロウソク単体で成立する、そういうものが新たに出てきたら、きっとみんなその「ロウソク」を買いますよ。理想としてそういうものを追いかけつつ、もう一方では下世話なこともしつつ、というように、やっぱり商品化に向けても、2方向があるのかなという気がしました。


チェン:今ここに、お三方が座られていて、すごく良い感じでグラデーションができていると思うんですね。非営利のクワクボさんから、中間的な八谷さんを介して、営利の土佐さんまで(笑)……今日の話に重ね合わせても、すごく象徴的なセットアップだな、と思います。

 メディアアートの商品化に関連してですが、メディアアートにしてもデバイスアートにしても、「アート」という言葉によって今の若い子たちの間で混乱が起きているのを見ていたりもします。それは営利的な成功を指しているのか、それとも社会的な役割を意味しているのか。例えば八谷さんの『OpenSky』についても、八谷さんが「殺すな」というアート系の反戦運動(岡本太郎の有名な言葉を借りたもの)に、美術評論家の椹木野衣さんに誘われた際に考えて出てきたコンセプトであるという経緯がありますよね。僕個人は、そういった経緯を含めて、それプラス、ポップなプレゼンテーションをされているという全体性のところで、『OpenSky』というものが総合的なプロジェクトなのだということが重要だと認識しています。でも「商品化」と言ってしまうと、そういった一般的には伝達しにくい部分は削ぎ落として、つまり解像度を下げて、世の中に届けなければいけない。

 クリエイティブ・コモンズに結びつけて言うと、既存の社会構造を所与のものとして肯定してしまって「いかにアーティストが生きていくか」という話だけをしていったら、恐らくそれは「いかに儲けるか」とか「いかに利潤を上げていくか」という方向に収斂しちゃうのではないかという危機感を抱きました。だったら本当に政府の予算で企業をスピンオフさせて、きちんとガンガン儲けさせる体制を作った方が、長期的に見た時にはもしかすると健全なのかもしれません。

 しかし、既存の法体制で足りないものがあったら、CCのように新しい社会システム、それは政策提言に限らないと思いますが、そういうところにまで踏み込んでやらないと、次世代の状況は変わらない、つまり100人の土佐さん、八谷さん、クワクボさんというのは、結局のところ生まれてこないのではないかというシビアな思いもあったので、最後にこの場で言わせていただきました。


岩田:このCRESTプロジェクトで一番の挑戦は何かというと、実は「アーティストがプロジェクトに参加する」ということなんですね。これは、今まで全くなかったことなのです。基本的には大学の研究者に対してお金をつけるというスキームしかなくて、私のプロジェクトで初めて本気でアーティストの方が研究に参加するという形になりました。じゃあ、それをどうやって支援するかということが、まだ枠組としてないわけです。JSTの本部とも色々とかけあって、特例措置を作ってもらったりしたりしていますが……このプロジェクトが平成22年度に無事に終了できれば、アーティストがプロジェクトに参加したということが恐らくは最大の成果になるのではないかというふうに、僕は思います。

 何はともあれ、これは「やったもの勝ち」なので、どんどん進めようということで、後半の3年間は……最後に八谷さんの方からもちょっと話が出ましたように、常設展示を実行していく計画です。(これは今言っても良いものかどうか分からないのですが)この科学未来館の3階の常設スペースの一角が、来年の4月に変わります。そこが「デバイスアート・ギャラリー」になる予定で、向こう3年間に渡って色々な作品を展示できて、様々な評価ができるということなので、それをもって締めくくりにしたいと思います。


草原:毎回のことですが、最後にやはり時間が足りなくなるのですが……これはまた続きを行いますので、我々が言えることも状況に応じてどんどん変わっていくと思います。ちなみに私はこのプロジェクトの中で「理論化」の部分を担当しているのですが、アーティストというのは常にそれまでの時代の「アートとは、こんなものだ」という既成概念に挑戦していく存在だと思うんですよね。メディアアートというのは、特にそうだと思います。

 このデバイスアートというのは、アイデンティカルなコピーが無数に存在してしまうデジタル時代のアートとは何なのか? それから、アーティストやデザイナーの役割が今までの時代とは変わってきた時、テクノロジーとの関連において、どういうことが言えるのか? それから、現代はユビキタス社会と言われたりして、それこそイギリスあたりに行くと、ビデオカメラがそこら中にある状態で、メディアが社会の中に埋め込まれてしまって、不可視なのだけれど、常に我々がメディアに利用されていくような状況がすぐそこまで近づいている中で、メディア・テクノロジーの本質とか、それが我々にどういう関わりがあるのかをアーティストたちが見せていけるのかという意味でも、たぶん最先端を走っていると言っていいと思います。

 この「商品化」というトピックも、今までのアートのあり方を問い直し、エデュケーショナルな意味も含めたところでも、ぜひ成功させていきたいですし、そのための問題点を洗い出し、それを投げかけていけたらと思います。今は「集合知」の時代だとも言われていますが……今日、ドミニクさんにお越しいただいたのもその一環だったのですが、色々な意見を出し合い、様々な視点から見ていくことで良い方向に持っていけたらと思います。本日はご来場いただき、ありがとうございました。パネリストの皆さん、スピーカーの皆さん、どうもありがとうございました。これにて終了いたします。


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